スピリチュアル・自己啓発・アメブロ起業を辞め会社員に戻ったアスペルガー受動型の人

好きなことで稼ごう!という沼にハマり、自分を見失っている人へ

スピ系の本を全部ブックオフに出しました

家の本棚にズラリと並んでいた数々のスピリチュアル系の本を、思い切って処分しました。四柱推命やオラクルカードなどの占いが好きだった私ですが、いつしか自分の生活にスピリチュアル的な考えは必要なくなっていたからです。

 

それまでは、何かあるごとに占いをチェックしては、天中殺だからか……などと理由をつけて、現実逃避をしていました。少し体調が悪くなれば、スピリチュアル的なサインに違いないと思い込んだり、現実的解決ができなくても、自分のせいではなく何か目に見えないものの作用なんだと、どうしても思いたかったんですよね。

 

でも、スピリチュアルにうつつを抜かすうちに「自分の人生を生きる」ことを忘れてしまったのです。すべて「宇宙の法則」という目に見えないもののせいにして、自分で解決しようとせず逃げていたんです。そして、現実的解決ができないたびに、「私はなんてダメな人間なんだ……」と自己否定のスパイラルに陥っていました。

 

スピリチュアル的なことや運勢など、自分以外のせいにすることで、一時的に楽になれます。けど、その先に成長はないですし、自分が成長しないということは、人生に何の変化も起こらないということになりますよね。


人生に何のインパクトも起こせないまま、時間だけが過ぎていく。そして気づいたら数年が経っていて、年齢だけを重ねていきます。

 

それから、気づいてしまいました。もうスピリチュアルや占いなどに頼らないでも、生活できているということに。そして、わざわざ「活躍」を目指したり、「自己実現」を目指したり、「誰かから認められること」を目指したりする必要がなくなっていました。

 

私が求めていたものは、お金でもなく、成功することでもなく、人から認められることでもなく……。ただただ、自分の人生を平穏に生きたかったのです。だから今はもう、「望むこと」や「自己実現をすること」から完全に卒業です。

 

決して投げやりになったり、諦めてしまったというスタンスではありません。「人生は、自分で切り開いていくんだ」という確信でした。


そこからの私の変化は劇的でした。


まず、「運気を引き寄せる」「人生が好転」などの本を処分しました。するとなぜか、以前にも増して自分の人生を生きることができるようになりました。

 

スピリチュアル的なものや占いなどを、全否定するわけではありません。ですが、「自分」という土台ができていないのに、いくら読んでも本質はわからないということはわかったのです。そして何より、自分と向き合うことの大切さを私は過去の体験から学んだのです。

 

スピリチュアルや占いが私を助けてくれたこともあります。だから、占いやスピリチュアルに出会えたことは、とても感謝しているんです。

 

ですが、自分で乗り越えられるものは、自力で乗り越えていく。そうしたほうが、「自分の人生を生きる」という実感をはるかに得られます。何度も言いますが、スピリチュアル的な事柄は否定していません。ただ、私に必要なくなってきただけです。

 

もしかしたら、「目に見えない世界」というのは、あるのかもしれません。けれど、つかみどころのない「目に見えない世界」を探求するよりも、「目に見えてる世界」を探求し、自分の力で人生を切り開いていくほうが、よほど建設的で現実的だなと思ってしまったのです。

 

地に足をつけ、ひとつひとつ目の前のことに丁寧に向き合っていくことが、私にとっては現実であり、スピリチュアルよりも説得力があります。

 

占い的な運気(天中殺だから変化を避けた方がよい等)を気にしたり、四柱推命の命式を見て「私は〇〇向きだ」「私は〇〇は向いてない」「ああでもない、こうでもない」と、自分の人生を生きない言い訳をする必要がなくなったからです。

 

アセンション」「二極化」「波動」そういった言葉に振り回されることも、やめました。「スピリチュアル的なこと」で自己肯定感を上げようという下心もなくなりました。

 

「私は覚醒しているんだ」という選民意識も消えました。スピリチュアル的なことに熱を上げていた時に、「覚醒した自分が人助けをする」という謎の使命感や執着があったのです。もちろんそれも大切なことですが、自分の人生を生きていない人たちの考え方だと気づきました。

 

そして、スピリチュアルや占いに頼らないで生活できると、「私たちは覚醒している」という謎の選民意識から自由になりました。「アセンションしてる」という浮かれた気持ちもないのです。ただ、自分の人生を生きていくだけ。淡々とこなしていくだけ。そんな中にも、ささやかな幸せが転がってることに気づき、私にはとても心地よいんです。

 

私は、どこにでもいそうな普通の「働く主婦」です。仕事帰りに子供の塾の送り迎え、宿題を一緒にやる、毎日の弁当づくりなど……どこのお母さんもやっているだろう普通の生活を、穏やかに、時に不満がありながらも、「適当にこなす」ということに幸せを感じられるようになったのです。


そうして心に余裕がでてくると不思議なことに、「自分が今すべきことは何か」などと考えるようになりました。そして、その答えが見つかると、それを活かせるような環境に身を置くようにもなりました。

 

自己否定がほぼなくなり、「私はアスペルガー受動型だし、みんなと同じようなことはできなくて当たり前」という「よい意味での諦め」ができるようになりました。

 

私にできることと言えば、正直人に自慢できるような立派なスキルがありません。

 

ですが、「人と接することよりも、コツコツとした細かい事務作業は苦にならない」ということや、「派手さはなくとも、何時間でも同じ作業を続けられる」という強みがあります。

 

黙々と机に向かい、何時間でも事務作業、チェック業務、データ入力などは、むしろ「楽しい」という気持ちでやることができます。他の人が嫌がるような地味な仕事も、苦にならずにこなすことができます。

 

「人と接するよりも、コツコツとした細かい事務作業は苦にならない」「一日中、誰とも会話しなくても大丈夫」という私の強み。この「コツコツと取り組む系の仕事」をすることが私には向いていました。それがわかったのです。

 

すると不思議なことに、自分に自信がつきました。そして、いい仕事に恵まれるようになりました。仕事を選ぶ時に「人からかっこいいと思われる仕事がいい」「いかに人から認められるか」という視点で選ぶことがなくなたのです。

 

私は、他人軸で生きていたことに気づきました。そして「他人にどう思われるか」ということを気にせずに生きられるようになり、自分にとって最も自然な生き方を選択していることにも気づきました。

 

「自分らしく生きる」ということは、人から賞賛されるような「起業家になること」でもなく「SNSでのインフルエンサー」や「フリーランス」になることでもなく、「等身大の自分で生きる」ということでした。小さな積み重ねで、自分を大切にしていくことこそが、「自分を生きる」ということだとわかりました。

 

スピリチュアル系の本を処分することで、地に足をつけて生きることができるようになりました。「引き寄せの法則」などに振り回されなくなったからです。それに気づいてからは、その本が再び目にとまることもありません。

 

私なりの答えでしたが……いかがでしょうか。この記事があなたの人生の一助になりますように。またお会いしましょう。ありがとうございました。