なんとなく生きるのをやめて、自分探しを終わらせたい人へ ※追記あり

正社員の求人に応募をし続けていますが、なかなか選考に通ることができません。「もう少しで入社できる」というところまでいったけれど、最終選考でのお見送りの連絡。

 

いやー、悔しい。めっちゃ悔しい。
誰も悪くない。全部、自分のせいです。
過去の自分の選択を振り返ると、「今の自分なら絶対にしない選択」をしていることに気が付いたんですよね。

 

私はこれまで、行き当たりばったりで転職を繰り返してきました。だから、企業から見れば「この人は飽きっぽそうだし、すぐに辞めてしまうに違いない」と思って、決め手に欠けるのでしょう。自分でもよくわかっています。

 

過去の私は、新卒で入った大手保険会社の総合職をたった二年で辞めてしまいました。入社してしばらくは、適応しようと一生懸命がんばっていましたが、自分に欠けているものを補うようなかたちだったので本当に苦しかったです。仕事内容は、とにかく自分の苦手なことばかりだったのだから。

 

度重なるイレギュラー対応に、マルチタスクが苦手な私は、それを補うべく勉強を重ねました。しかし、うまくいきませんでした。

 

適応障害にはならずとも、感情を押し殺すことで、なんとかやってきました。「自分は、何も感じていない」と思い込み、感覚を麻痺させていかないと、とても耐えられなかったのです。今思えば、感情のないロボット人間のようでしたね。

 

だけど、そんな日々は長くは続きませんでした。

 

女の園が苦手だということと、古くさい企業体質が合わず、途中から会社に行くのが猛烈に嫌になってしまい、入社三年目に入る前に退職届を出しました。

 

けど、今思えば……本当に浅はかでした。

 

おろかなことに、若い頃の私は、「もっと輝けそうな場所が、他にあるような気がする」だなんて、バカなことを考えてしまったんです。どこかの誰かや、どこかの環境……そういった外側のものが、自分を変えてくれるに違いないと信じて疑わず、思い切り「他責」の世界で生きてきてしまったんですよね。


「私は行動力がある」「フットワークが軽い」なんて、ポジティブワードに転換して、おごっていたんです。心の中は、自己否定からまったく抜け出せていないくせにね。今の職場を改善しようなんて、これっぽっちも考えなかった。努力から逃げていたんです。

 

結果、過去の自分はなんの信念もなく、ただ楽しそうなことに飛びつき、お金を散々使ってしまいました。

 

数々の転職を始め、友人に誘われた「マルチ商法的なエステ」に百万近く投入したり、何百万もかけて様々な資格スクールに通い学んだことが、今現在、何一つモノになっていません。


残ったのは、履歴書に書ききれないくらいの多すぎる職歴と、多額な借金だけ。そうなってしまった理由は、自分の人生を自分で操縦していなかったからに他なりません。

 

「このままの自分じゃいけない」
「今の自分のままじゃ輝けない」

 

そう思って、転職したり、スクールに通ったりしていた若い頃。

 

どこかに私の才能を発掘してくれる場所があるんじゃないか?という「作られたルート」を探し求め、極めて受身で他責志向な精神のまま……。そりゃあ、うまくいくわけがありませんよ。

 

作られたレールの上を歩いたって、何にもおもしろくなかった。そりゃそうです。自分で決めてないんですから。自分で決意したように見せかけて、実は「外側に依存」していただけなのだから。


でも、当時の私は、依存している自覚はまったくありませんでした。自分で決めてるように思いこんでいたのです。

 

だけど、「なんか違う」「なんかしっくりこない」「なんかイヤだ」を繰り返し、考えることがから逃げ続けた結果、何も大成しないまま年をとりました。

 

そうなってしまった今。反省はたくさんあります。

 

自分の心の声を聞くのが怖くて、その声を無視していたんですよね。感情を押し殺すことですか、世界を見ることができませんでした。臭いものには蓋をする……ではありませんが、自分に鎧を着せることで何とか保っていました。

 

自分の心の声を、もっとちゃんと聞いてあげるべきでした。それに尽きる!

 

「今」の自分は、どう感じているのか?
「今」の自分は、何を望んでいるのか?
「今」自分が大切にしている価値観は何なのか?
「今」の自分は何が好きで、何が嫌いか。


自分の本音に耳を傾けてあげていなかったから、私の人生は迷走したのではないでしょうか。だから、この冴えない今があるんです。その耳の痛い現実を直視し、絶望しないと次はないと思っています。

 

そして、どんな仕事がしたいか?どんな会社に入りたいか?という「夢」も明確になり、その夢を叶えるために、今を生きているんだと実感できるようになりました。


「今」の自分軸がはっきりしているから、「今」の自分軸にのっとって行動できます。だから、たとえ正社員の選考に落ちても、昔の私のように「他責」じゃなく、「今」の自分の感情に寄り添える。

 

悔しい。こんな力のない自分が、本当に心から悔しい。

だから、変わりたいんだ。

アスペルガー受動型という障害をもっていて、他の人よりハンデはある。

だけど、それでも経済的に自立して、自分と子供を食わせていきたい。

自分の力で、経済的自立をしたい!

誰にも頼らず、自分の足で歩きたい。

 

もう原動力は、ただそれだけ。

それだけしかなくて、いたってシンプル。

なのに、それすらできてない自分が悔しいんだ。

だから、変わる。変わるしかない。

 

あなたが、どういう経緯でこのブログを読んでくださっているのかはわかりませんが、もしかしたら、「自分探しを終わらせたい」と思っているのではないでしょうか。


きっとあなたも、状況は少し違えど「変わりたい」と願いながら奮闘している真っ最中なはずです。私と同じく、停滞感に苛まれているだけであり、同じように心が折れそうな夜もあると思っています。このブログを通して、少しですが、あなたの力になることができればと思っています。

 

これ、嘘ね(笑)

ほんとは「力になりたい」なんて、これっぽっちも思っていません。

(2024/5/13追記)

 

無意識に嘘をついてしまう癖、他人からよく思われたいという癖、人のためにならなければブログを書いてはいけないと言う間違った思い込み……。

 

これらの総集編が「力になることができれば」なんて、嘘くさい言葉になるのさ。

そういうのは、もうやめるって決めたから。

もう「取り繕ったような嘘はつかない」って自分の中で決めたから、やめるのだ!

 

そもそも、このブログって誰かの力になりたくて書いたんだっけ?

「違うだろ!!」というセルフツッコミを入れて、バカげてると思ってしまいました。

 

はっきりと言います。

このブログは、「自分のための自分中心で行う、自分だけが満足できればOK」なブログであり、ただただ「自分の心をアウトプットしてみたい」という欲求にかられて書いてるだけの、「完全自己満足」なブログです。

 

 

追記ここまでで終わり。

 

 

「世の中へどんな価値を提供できるか?」が一番大事ではありますが、まずは「自分のために」でもいいから、一歩を踏み出すしかないんですよね。

 

まだ「世の中へなんの価値を提供できるか?」のフェーズにいってないんですよ。まずは、自分自身をいたわり、「自分のために、地に足をつける」というところからスタートです。

 

ここで、占いやスピリチュアルに逃げたりする人が多いんですけど(私自身がそうだったから)絶対にダメですからね!

 

運のせいにしたり、他人のせいにしたり、環境のせいにしたりして、一時的に自分は楽になったとしても、その先に「成長」も「気づき」もないのですから。

 

私みたいなポンコツであれば、きっと失敗もします。現に、自分は現在、転職活動で何一つうまくいっていませんし、このままいったら就職できる気すらしません。

 

それでも、地に足をつけて、ただただ、自分の想いに沿って行動するのみです。結果に一喜一憂することはありますが、いつもすぐに気持ちを切り替えて次の行動へ進んでいくしかないのです。

 

この記事の中で私が伝えたいのは、「今のままでいい理由なんて一個もないんだよ!」ということ。今よりももっといい状況を追い求めることができるし、いつか理想の自分に近づける力やセンスを内包しているんです。

 

そうなるためには、今すぐ「なんとなく生きるのをやめる」こと。「今」の自分の本音に耳を傾けて、「今」の自分軸をはっきりさせて、「今」の自分軸に乗っかった行動をとる。

 

そして、嘘はつかないこと。

自分自身にも、他人にも。

 

無意識についてしまう嘘。

無意識に感じてしまう思い込み。

無意識に取り繕ってしまう言葉たち。

 

これらを徹底的に排除していかないといけません。現実から目をそらさず、冴えない現実を直視するのです。耳が痛いことも受け入れて負の感情を思い切りだすしかありません。もう、そこからスタートするしかない。自分は今それを実感してます。

 

選考に落ちまくるのは、私にそれを気づかせるためだと思います。

 

そんなポンコツな自分に絶望しろよ、めっちゃ悔しいだろ?

もっとやれるだろ?

本音は、そんなもんじゃないだろ?

 

そう言われてるような気がしてなりません。

 

「なんとなく生きるのをやめて、自分のためにしっかり生きる!」
その一歩を踏み出すだけで、あなたの人生もきっと変わり始めます。

 

選考に落ちまくっている私が言うのもなんですが、もがきまくるほど、「自分のために生きている瞬間」が増えてくるものです。